加熱済み宇宙食4691パック

はてなダイアリーより移行

あの名作に悪意を込めた批判的文章を付けてみた


批判と膏薬はどこにでも付くので、名作だろうと何だろうとその気になればどうとでもクソミソに言えるのだ。もっともらしい批判ばかり見てわかった気になるのは危険である。

アルプスの少女ハイジ

アルプスが舞台であるというが、山の描写が日本のなだらかなそれでありアルプスの厳しさが全く伝わってこない。また原作においてハイジはフランクフルトで教育を受け、クララのおばあさまから神の教えを受け、それがオンジの救いのシーンにもつながるというのにアニメで宗教色をカットしたために、ハイジはフランクフルトでただ体を壊しただけで、クララのおばあさまもただの甘やかしババアと成り下がってしまった。当然神によるオンジの救済など無く、クララが立ったという比較的どうでもいい出来事をクライマックスにもってくるという糞構成になってしまった。ハイジというお話は「偏屈な山じじい」と「少女」が出会う所から始まるんだから、話の結末はそこを中心にするのが筋というものだろう。途中から出てきたキャラクターがクライマックスってどういうことなの…

ガンバの冒険

この作品の原作で出てくるガンバの仲間は15匹であるが、アニメ化の際に6匹に減らされてしまった。わかりやすくと言う意図であろうが、そんなのは言い訳である。「ぼくらの。」の15人は多すぎるな、7人にしようなんて言ったらおかしいでしょう。わかりやすい話をしたいならオリジナルでやれば良いのである。

ジャイアントロボ(OVA版)

しばしばこの作品を褒める言葉として「キャラクターが熱い」「ロボはおまけで十傑集の超人ぶりが最高」とか言うのがあるが、それは横山光輝原作をうたう作品としてはどうなの?と思う。横山の魅力の一つであるロボを傍流に追いやっている作品作りというのは原作レイプと言ってもいいのではないかと思う。これだけだと原作厨うざいで終わるので原作云々から離れて言うが、何年もかけて描いた話の真相が「シズマ博士の言葉が思わせぶりなだけだった」というのは本気でずっこけたぞ。思わせぶりな言葉で引っ張ってファンを引っ張って、その挙句に中身が空っぽでしたーというのは「とにかく客に金を出させれば勝ち」という短期的な物の考えであり、長期的にはファンが離れる元凶であると思う。

ドラゴンボール

アニメは原作に追い付きそうになるのを抑えるために、煙はいつまでも晴れず、気を何分もかけて貯め、ひたすらどうでも良いオリジナルストーリーを続けていた。鳥山明の偉大な原作が無ければ糞アニメと謗られても文句の言えないレベルである。あとアニメオリジナルで孫悟空の父・バーダックフリーザに挑むって話があったけど、あれを見たときは正直「さんざ色々な星を滅ぼしたクセに」としか思えなかったんだよ。原作での孫悟空が「(サイヤ人は)だから滅びた・・・」とサイヤ人の滅亡を受け止めたセリフを発していた事を考えると尚更である。


あとこれは内容に関係ないことだが、映画版の「摩訶不思議大冒険」が休日朝の特番で放送されたときに悟空がシェンロンを呼び出す所でブツっと終了してしまったのがあってモヤモヤした気分になった事があった。後にビデオを借りて見たらシェンロンが呼び出されるのと同時にエンディングテーマが流れ出し、後日談をしっかりと書いて話をキチンと締めくくっていた事がわかった。いくら休日の埋め合わせの特番とはいえエンディングカットとかありないでしょう。




とまあ言おうとすればいくらでも悪口はかけるのである。上記の批判とて、文体の調子を直せば「原作とアニメの相違点」「横山作品でウェイトの低い人物描写に力点を置いた」「放送時間の都合でオリジナルフィルムをカットした」「原作のペースによる引き伸ばしの常態化」と客観的に記述する事はいくらでも出来るわけで。