加熱済み宇宙食4691パック

はてなダイアリーより移行

東方のリリース時期と自分の流れを比べてみる。

東方紅魔郷(2002)

日韓ワールドカップが開かれたり、機動戦士ガンダムSEEDがオンエアされた年である…と考えるとほんの最近の事のように聞こえる。

東方妖々夢(2003)

この年オンエアしていたアニメでハマったのは「エアマスター」という格闘アニメ。*1ぬるぬる動く事もさりながら、「スカート姿で戦ったらパンツは当然見える」という信念(?)も気に入ったものだった。ただ途中で原作を揃えてからは「比較厨」の視点が入ってしまい純粋に楽しめなくなったのが悔やまれる。東方なんてこの頃の自分には無かった。と言うより(同人=ストーリーなどどうでもいい性欲のはけ口的エロ本)という視点であったように記憶している。


あと覚えているのは日曜朝にやっていた「ファイアーストーム」というSFアニメの事。敵の首領モレーリがやけに魅力的だったり、突っ込みどころ満載だったりと良きB級アニメであった。そして深夜アニメの「テクノライズ」。本気で嵌り、DVDも全巻揃えてしまった。地上波では2話分が未放映となりその分がネットで配信される事になったが当時の回線速度では豆粒みたいな画面でカクカクした動きしかせず「ネットで動画なんて無理だよなあ」と思ったものだった。

東方永夜抄(2004)

第1回例大祭が開かれ、永夜抄がリリースされた年である。2004年当時の東方スレの過去ログをちょろちょろ覗いてみると「映倫(えーりんではなく)」とか、「かぐや姫」という書き込みがあったりと新鮮である。また「助けて永琳」「にゅーくれらっぷ」という歌詞は製品版頒布から1〜2週で界隈全体に伝播したように見受けられた。


アニメで言うと「ふたりはプリキュア」初代の放映が始まり、秋には「機動戦士ガンダムDESTINY」が放映された…というとやっぱり最近だコレ。

東方花映塚東方文花帖(2005)

例大祭2回目の年。まだ東方はなんにも知らなかった。この年は「Zガンダム」の映画が上映された。第1作は迫力ある戦闘シーンの連続で興奮しまくり、第2作への期待がパンパンに膨れたものだった。その後どんどんショボくなるんだけど


あとは「逆境ナイン」「クロマティ高校」というそれを実写でやるのかオイという存在自体が奇跡のような映画も楽しんだ記憶がある。ウォーレン・クロマティが本気で法的手段に訴え出たのもよく覚えている。

東方求聞史紀(2006)

第3回例大祭。2006年は東方本家のリリースが無かった年であった。この年はYoutubeで色々な過去動画を漁るのが楽しかったと記憶する。あと「ネットでのアニメ配信」というのがまともに享受出来たのはこの年だった。


チャンピオンで連載されていた「無敵看板娘」がアニメ化されたものの自分の住んでいる地域は放映圏外でガッカリしていたが、「BIGLOBE」で配信してくれたのでしっかりと全話楽しめた。またBS-iでやっていた超低クオリティアニメ「MUSASHI」もGyaoで流してくれたのでこちらも全部チェックできた。


この時点になっても東方本家も知らなかったし、電波曲もまったく知ってはいなかった。

東方風神録(2007)

第4回例大祭。そして久々のSTG新作の発表の年である。この年にしてようやく東方を知るがプレイに至るまではまださらに長かった。


ニコニコ動画には、どこかのニュース系ブログが貼り付けた動画から迷い込んだように記憶している。Youtubeの動画にコメントを後乗せしているようなのは何となくわかったが、その当時のサーバーは貧弱でしょっちゅうアクセス不能になり、「かあー、海外の動画サーバーはグリグリ稼動しているのに、日本のテキストだけ扱うサーバーがこれかよ」とあきれ返ったのを覚えている。ライブドアショック東証のシステムがアップアップになったという事件と合わせ、日本の技術力って一体…と思ったものだった。


その後、動画も独自で処理するようになった時に入場制限を掛けていたのもニコニコ動画のシステムのしょぼさを印象付けることになった。とか言いつつもすぐに入会して、そして数ヶ月もしない内に有料会員になった件。2007年の前半はレトロゲームのプレイ動画ばかりを見ていたように思う。東方というものを知ったのは多分その年の夏から秋に掛けてだと思う。と言っても「幻想郷の世界観」だの「キャラクターの性格」だのでは無く「ニコニコ動画に溢れている電波曲の一つ」としてである。


それでも秋頃には「ニコニコ市場」で東方と名の付く書籍を目にしたり、「盗んでいきました」に出ている少女はアリスという名前である事がわかってきたりと徐々に東方脳が形作られていったように思う。で、東方をハッキリと認識できたのはこの動画である。

東方って何なんだぜ?


これで東方Projectの流れが理解できた。されど同人ゲーは未体験であり、どうすれば入手できるのかよくわからなかった。Googleの広告でネットショップ「駿河屋」に行くが、10000円近くのプレミアが付いていたりととても手が出せなかった。後にここ「駿河屋」は筋金入りボッタクリショップである事がわかる。それで比較的安い音楽CD「蓬莱人形」「蓮台野夜行」を注文してみたのが2007年の末頃だと思う。初めて家でゆっくりと東方音楽を聴いたときの感動は今でも忘れられない。「こんなスゲエ曲をこれまで知らなかったなんて…」と。

東方地霊殿(2008)

駿河屋で見た本家ゲームのプレミアぶりの為に、しばらくは公式ページに置いてあった体験版を落としてプレイしていた。最初は3面でボロボロであったが、徐々に慣れていって東方にずっぽしと嵌る。2008年の3月程に意を決して秋葉原に足を運び「とらのあな」へ行く。そこの3階の同人スペースを見たときに思ったね「ずっと東方のターン!」と。あらゆる棚にポスターに東方が溢れているのだからなあ。本家STGがずらりと勢ぞろいしていたがまずは「東方永夜抄」を購入。


購入した時は「体験版もしっかりやり込んでいるし、まあニート姫をやっつける位余裕でしょう(この頃には二次設定もしっかり詰め込み済み)」と思ったが、インストールして始めてみると、4面の魔理沙の鬼のような弾幕だの、途中の高速スクロールで震え上がってしまい、満身創痍状態で5面に入ったものの鈴仙にたどり着くことなくゲームオーバー。自分の製品版初体験はこうしてクソミソな結果に終わったのでした。


その後4月の終わりまでに製品版と音楽CDはあらかた購入し、アレンジCDも何枚か買ったように思う。5月頃の神主ブログでの新作告知に「新作ktkr」と偉そうに反応したのも覚えている。体験版を配布した第5回例大祭には休日出勤で行けなかったが、現地の混乱ぶりを知るに「行かなくて幸運だったのかも?」と複雑な気分となる。


地霊殿体験版はキャラ☆メルの付録のをプレイ。それからは色々なゲームをぽつらぽつらとプレイしては少しずつ攻略していく日々。初めてエクストラをクリアしたのは2008年の7月頃、風神録霊夢誘導装備で200回程挑んだ末の打開であった。それ以来他作品のエクストラまだクリアできていない罠。


地霊殿製品版は夏のコミケに出向いて入手。炎天下の行列で待つこと4時間。自分が並ぶ側の人間となるとは数年前からは考えられなかった。地霊殿をプレイしてみるがパソコンの性能の限界で、1/3描画処理でかろうじてプレイが可能というレベルだった。思えば風神録も雛の第2スペルでFPSが30を切っていたので限界は近づいていたのだったが、この件が切欠でハイスペックPCの導入に踏み切る事となった。

東方星蓮船(2009)

それからはニコニコで東方動画を見たり、東方漫画を見たり、STGをプレイしたりとさほどの変化も無く東方ライフを送っている。まあその間に「東方の曲には多くの場合元ネタがある」とか、ニコニコ動画の中でも結構荒れやすい」とか、優良な東方動画を作っていた人が活動自粛に追い込まれる事態を目撃したりとか初めての頃には見えなかった面も見えたりはしているがそれも今は受け入れられるようになってきている。新作の星蓮船の製品版が出る頃はどのようになっているであろうか?


「東方を知らない頃の自分」を思い返してみると、「何故知らなかったし」とつい思ってしまうが、現在の自分も「何故○○を知らなかったし」と未来の自分に突っ込まれているのかもしれない。目を向ければ色々と魅力的な何かがあるものである。もっとフットワークを軽くしないといかんなあ。