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東方の二次創作のベクトルについて考えてみた


ニコニコ動画における膨大な東方動画の中で、数少ない儚月抄ネタを扱うyasaka氏の新作は、東方三月精でやっていた「命蓮寺の縁日」にまつわるネタである。この動画においても儚月抄組は出演しており実に和ませてくれる。この人は東方の書き下ろしの商業書籍や、連載とかを元に二次創作を行う事が多い。「儚月抄」ネタでは依姫が召還した神様などのキャラ性の薄いところまで押さえていたり、書き下ろし本の「グリモワール・オブ・マリサ」を題材に一本動画を作っていたりする。こういうスタンスの東方二次創作動画って結構貴重だよなと思ってたわけだが、「一次・公式ネタ」→「二次創作」という流れが貴重ってのはどういう事なの…と思う。


東方STGをプレイしていると「うおおお魔理沙と咲夜の絡みにニヤニヤせざるを得ないぞ!」「帽子霊夢がマリオみたいで可愛い過ぎて生きるのが辛い」「パチュリーって結構活動的」「土蜘蛛酒飲みたい」「穣子と霊夢の会話では穣子は怒っているが、魔理沙には怒っていない!つまりミノマリこそ正義なんだよ!」とか色々と楽しい。儚月抄本編でも「麦わら帽のパチュリーが可愛すぎる」「うんにゃというパチュリーが可愛すぎる」とかニヤニヤポイントは数多い。今溢れている二次設定は偉大なる先達が公式のわずかな記述を膨らませ面白おかしく創作していった痕跡である。それはそれで楽しいものだが、自分で新たに切り開くことこそが今自分に求められている!と動画を見つつ考えた。