自分は社会人としては終わっている程度のニコ動中毒のニコ厨である。と言っても会社でニコニコをこっそり見るだの、ニコニコの見すぎで常時睡眠不足で仕事にならないだのと言った類での「終わっている」ではなく「ありとあらゆるもの全てがニコニコ動画と結びついてしまう」という思考のブラックホール状態の事を言っている。と、これだけだと抽象的でわかりずらいので具体例を交えて語る。こうなってはいけないという反面教師とされたし
最近コンビニで「鬼平犯科帳」の漫画版のペーパー・バックをちょくちょく買っては読むようになり、自然と池波正太郎の原作小説にも手が伸びたのだが、こんな一節にぶち当たった。
仙寿院は正保年間、紀州家の草創になるもので、寺内の林泉のおもむきが、谷中・日暮しの里の風趣をほうふつとさせるとかで[新日暮しの里]などとよばれ、杖を引く人もかなり多い。(『おみね徳次郎』)
この一節を目にした瞬間に、「新日暮しの里」→「新日暮里」→「シンニッポリ!」→「アッー!」と連想してしまい、ビリー・ヘリントン兄貴の顔が脳裏から離れなくなってしまった。
自分は時代小説の傑作である「鬼平」を見ていた筈なのに、気付いたらビリー・ヘリントンしか頭に残らなかったのだ。これが何を見てもニコニコ動画と結びつける「思考のブラックホール」の一例である。自分みたいにならないように適度にニコニコ動画と付き合って欲しい。