今はアニメは逼迫した状況で作られている事を知っている
昔は、アニメが毎週流れるのを当たり前のものと思っていた。
その認識の変化の流れのメモ
1994年「覇王大系リューナイト」のある回で
パッフィーの髪のボリュームが違うをを見たときに
「回によって出来が違う」事を知った。
1995年「新世紀エヴァンゲリオン」
・20話以降の次回予告(レイアウト撮、脚本撮、原画撮、落書き等の未完成品を使用したもの)
・古いカットの使いまわし(オペレーターの作画は殆ど使いまわし)
・動かなくなった絵
・25,26話の荒くれぶり
で、「作り手も大変だな」という事を知った。
1996年「スレイヤーズNEXT」
・エンディングのスタッフロールで、日本人じゃない三文字の名前が沢山
「日本人だけで作ってるわけではない」事を知った。
(ただ、この時は別にクオリティ低いとは思わなかった。)