昨日の日記で、ドラゴンボールの小説版ならではの展開は無いと書き、あたかも小説版で得られる物があまり無いかのように扱った。その後読み返してみると結構世界観を読み解く鍵が盛り込まれているのに気づく。昨日の文章は先走りが過ぎた事がわかった。先走りすぎは命に関わるぞ(タクアン和尚風)
現実の地球に即した世界観
小説を読み進めていくと、この作品世界での「地球」が「現実の地球」を指している事に気付かされる。例えば本文にある以下のやりとりを見てみる。
ブルマ「電球を発明したのは誰?」
悟空「トーマス・エジソンだろ」
この何気ないやりとりによって、この世界は鳥山明の創り出した「地球」*1ではなく、「現実の地球」が舞台である事がわかる。また亀仙人がピッコロ大魔王が2000年前に地球を襲った話をする際に「紀元前200年」「秦の時代」という表現を使っている事から現実の地球が舞台なのは明らか。
時代設定は遠未来
映画を見ているときは、悟空が近代的な学校に通う辺りから「現代の話」と漫然と考えていたが、小説版を読み進めていると
ブルマ「いまは二十二世紀なのよ」
という台詞が出てくる。そう「DRAGONBALL EVOLUTION」は遠い未来の物語なのである。*2確かに現実世界の現代には「ホイポイカプセル」は無いし、ヤムチャが使った空を飛ぶ車も無いわな。
このように「DRAGONBALL EVOLUTION」は原作とはかなり異なる世界描写がされている。勿論それは不満では無く喜びである。このように色々な形式でドラゴンボールの物語が語り得るというのは、ドラゴンボールという物語が揺ぎ無いものである証なのであるから。例えるなら三国志演義を下敷きにして数多くの漫画・映画・ドラマ・小説・演劇・人形劇作品が作られるような感じ。